2017年12月30日土曜日

神楽会Xmasパーティー&年の暮れ

12月30日(土)晴れ。

2017年・年の暮れ。
新年を迎えるため、祭事方にて公会堂玄関と町内祭祀に〆縄を飾った。

画像は氏子総代のBさん手作りの五社飾り。
この縄を編むとき、右捻りではなく左に捻って作るのが決まりごとらしい。
それが結構難しい・・と、Bさん。
その縄に、神社から授かった紙垂(しで)を取り付けた注連縄。

明日午後、御旅所に献灯を設置すると「迎春」の準備完了となる。
成海神社・新年祭初詣のため、
大晦日の夕刻から正月の3日間、日没~夜明けまで提灯の明かりが点る。

12月23日(土)晴れ。
城之下神楽会のXmas親睦会が開催された。

神楽会メンバー12名と父兄、そして活動をいつも温かく見守ってくださる
皆さんとの交流会は大盛りあがり。
神楽会創設以来初めてのことでしたが、発案企画担当の
クマさん、大変お世話さまでございました。

 膨大な数(177枚)の写真を撮ってくださったNさん、お手数をかけました。
その中から、37枚の画像を選択させて頂いたのですが・・
その抽出作業が、それはそれは大変でありました^^;~

無作為厳選画像には、お楽しみの様子が満面の笑みに表れてますね。
こんな中、子どもたちが「笛や太鼓」を忘れていないのに
「びっくり!」

以下、キャプション抜きでご覧ください。
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この企画、次年度につづく(予定)

2017年12月17日日曜日

秋葉社神楽奉納

12月16日(土)曇り。

町内には、昔から伝わる津島社と秋葉社の祭祀があります。
今夕はその内の一つの秋葉社に、先日授かってきた御札を納めて
神楽を奉納する行事がありました。

先輩先生を始め、新メンバーの子供たち8名も全員出席。
町内より、役員&班長さんが臨席。そして神楽会父兄の見守る中・・
子供たちは、
秋の祭礼デビュー以来、2度目となる年中行事に臨みました。

笛や太鼓の心地よい響きを、傍らより微笑ましく拝聴。
奉納の神楽三曲とお囃子一曲の内、その一部をYouTubeにしました。
 
迫力の生演奏を初めて見る班長さん方は、皆、一様にびっくりされていました。
先輩先生の指導にて、
今年5月から始まった週一稽古が、僅か半年余りでしっかり実を結んでいるようです。

(追伸)
昨年のブログに掲載したものですが、
可睡斎と秋葉山信仰について、日本大百科全書(ニッポニカ)の解説を記しておきます。
 
可睡齋(かすいさい)
静岡県袋井市久能(くのう)にある曹洞(そうとう)宗の寺。
萬松山(ばんしょうざん)と号し、秋葉総本殿とも称される。応永年間(1394~1428)
の僧、恕仲がここに草庵(そうあん)を結んだのが始まりで、一時荒廃したが、
5世の法祖大路一遵(たいろいちじゅん)が毘沙門天の霊夢に感じて再建し、
東陽軒と称した。
11世の仙麟等膳(せんりんとうぜん)は、今川家の人質となっていた幼少の徳川家康を
助けたことにより、のちに浜松城主となった家康の厚遇を受け、東海の大僧録司として
駿河、遠江、三河、伊豆4か国の諸寺を取り締まる名刹となった。
可睡斎という寺号は、仙麟等膳が浜松に家康を訪れたとき、疲れと老齢のために居眠った
のを見て、家康が「和尚睡(ねむ)る可(べ)し」といたわったことによるといわれる。
境内後方にある秋葉総本殿は、もと秋葉寺(静岡県浜松市)にあった三尺坊
威徳大権現を移したもので、俗に秋葉三尺坊、三尺坊大権現といわれ、火防の
霊仏として名高い。12月15日に火防大祭が行われる。
境内は広く、本堂、僧堂(禅堂)、方丈など多くの伽藍(がらん)を有し、ボタン、サギソウ
など花の名所としても知られる。

 秋葉信仰
根本社(秋葉神社)は、
静岡県浜松市天竜区春野(はるの)町の秋葉山頂に鎮座。
剣難、水難、火難に霊験あらたかであると『東海道名所図会』に記されている。
とくに火難(火伏せ、防火)信仰は愛宕(あたご)神社と並んで有名。秋葉山は神仏習合に
伴い修験の霊場となったが、修験者の三尺坊は、観音の化身で
火伏せの法に通じた天狗といわれ、越後の国から飛来して秋葉山の鎮守となり、
三尺坊大権現と称して、大登山秋葉寺に祀(まつ)られたという。
1685年(貞享2)には三尺坊大権現を祀ることが流行し、順次各地に送り祀られて
いったが、江戸に入る前に幕府から禁圧された。
 この信仰は中部地方を主として、東海道筋から関東地方にかけて講社を結成する
など庶民と深く結び付いた。
明治初期の神仏分離令で、秋葉神社と改称、独立し、秋葉寺は廃寺となったため三尺坊
の像などを可睡齋(静岡県袋井市の寺)に移したが
現在も根強く信仰されている。
とくに江戸時代は伊勢参宮の途次に参詣されることが多かった。

2017年12月11日月曜日

秋葉山・可睡齋(代参)

12月11日(月)晴れ。

会長及び祭事方有志の計4名にて、火伏の権現さんと云われる
秋葉山可睡齋へ御札を授かりに行ってきました。

小春日和の今日、境内の紅葉はその名残りのみになっていた。
立派な山門の両脇に、豪壮な仁王像が・・ 
その山門の由緒書き・・ 
 可睡齋の総受付玄関を入り・・ 
 ご祈祷の申込書類に記入を終えると・・
 長~い廊下を通り・・
山水画のような庭園の見える部屋に通されて・・ 
葵のご紋菓子と、芳しい香りの遠州茶を戴いた。
御真殿に案内されて、
我々4名と神奈川県からの3名の一座にて、
たいへん厳かなご祈祷を賜った。
30分あまり続いた法会の中で、所在地とともに城之下町内会の名も・・。 
終了時に、導師のお言葉を頂戴した。
緑区からお越しとのことですが、私は中川区の生まれ・・と自らを
紹介され、12月15日に催される秋葉の火祭り についての説明を受けた。
 町内会祭祀の御札と、皆さんの御札を授かった。
申し込み頂い皆さんの分は、近日中に班長さんを通してお届けします。
16日(土)午後7時より、
町内祭祀・秋葉社の神楽奉納が、神楽会メンバーにより執り行われます。
 堂内順路には、道元禅師座像が祀られていた。
また、徳川家康所縁の寺院らしい品々が宝物殿に展示されていた。
ここは日本一の東司とのこと。国の登録有形文化財とのこと。
代参の一同は参詣を終え、清々しい気持ちで可睡齋を後にしました。 

帰路、浜名湖SAでランチタイム。皆さん、きょうはお疲れさまでした。