2016年12月22日木曜日

可睡齋の御札納め

12月16日(金)晴れ。

夕刻6時半より、古来火伏の信仰厚い可睡齋のお札納めを開催しました。
毎年12月初旬、町内からの希望を募り役員有志の代参にてお札を授かっています。
その際受けてきた、町内会祭祀の御札を収める行事。

以前から行われている祭事で、今年も神楽会メンバーによりお神楽奉納もありました。
仏事に“神饌”とは妙な感じですが、秋葉山総本殿・可睡齋の由来を調べると、明治初頭の
廃仏毀釈(神仏分離)までは、元々同じ境内で信仰を集めていたとのことにて
その名残りかもしれません。
 師走の中頃ともなれば、寒さもひとしおだったのですが・・
そんな中、多くの役員及び班長さんに参拝していただきました。
 お神楽の太鼓と笛が、師走の宵に厳かに響いていました。

可睡斎と秋葉山信仰について、日本大百科全書(ニッポニカ)の解説を記します。
 
可睡齋(かすいさい)
静岡県袋井市久能(くのう)にある曹洞(そうとう)宗の寺。
萬松山(ばんしょうざん)と号し、秋葉総本殿とも称される。応永年間(1394~1428)
の僧、恕仲がここに草庵(そうあん)を結んだのが始まりで、一時荒廃したが、
5世の法祖大路一遵(たいろいちじゅん)が毘沙門天の霊夢に感じて再建し、
東陽軒と称した。
11世の仙麟等膳(せんりんとうぜん)は、今川家の人質となっていた幼少の徳川家康を
助けたことにより、のちに浜松城主となった家康の厚遇を受け、東海の大僧録司として
駿河、遠江、三河、伊豆4か国の諸寺を取り締まる名刹となった。
可睡斎という寺号は、仙麟等膳が浜松に家康を訪れたとき、疲れと老齢のために居眠った
のを見て、家康が「和尚睡(ねむ)る可(べ)し」といたわったことによるといわれる。
境内後方にある秋葉総本殿は、もと秋葉寺(静岡県浜松市)にあった三尺坊
威徳大権現を移したもので、俗に秋葉三尺坊、三尺坊大権現といわれ、火防の
霊仏として名高い。12月15日に火防大祭が行われる。
境内は広く、本堂、僧堂(禅堂)、方丈など多くの伽藍(がらん)を有し、ボタン、サギソウ
など花の名所としても知られる。

 秋葉信仰(あきばしんこう)
根本社(秋葉神社)は、
静岡県浜松市天竜区春野(はるの)町の秋葉山頂に鎮座。
剣難、水難、火難に霊験あらたかであると『東海道名所図会』に記されている。
とくに火難(火伏せ、防火)信仰は愛宕(あたご)神社と並んで有名。秋葉山は神仏習合に
伴い修験の霊場となったが、修験者の三尺坊は、観音の化身で
火伏せの法に通じた天狗といわれ、越後の国から飛来して秋葉山の鎮守となり、
三尺坊大権現と称して、大登山秋葉寺に祀(まつ)られたという。
1685年(貞享2)には三尺坊大権現を祀ることが流行し、順次各地に送り祀られて
いったが、江戸に入る前に幕府から禁圧された。
 この信仰は中部地方を主として、東海道筋から関東地方にかけて講社を結成する
など庶民と深く結び付いた。
明治初期の神仏分離令で、秋葉神社と改称、独立し、秋葉寺は廃寺となったため三尺坊
の像などを可睡齋(静岡県袋井市の寺)に移したが
現在も根強く信仰されている。
とくに江戸時代は伊勢参宮の途次に参詣されることが多かった。

2016年10月22日土曜日

緑区区民まつり_2016

10月22日(土)曇り時々晴れ。

やや曇り空ながら秋の気配漂う一日・・
広大な大高緑地公園で、毎年開催されるイベントに参加した。

今回、花井町との共催にての初参加。
花井町のカラクリ人形と、城之下町の神楽会・祭囃子の共演です。
両町の役員さん、早朝より準備作業で会場に入りました。 
 城之下町の祭り提灯を、展示ブースに高々と掲げました。
展示ブースは、メインステージの脇に用意されていた。 
ステージ正面は芝生のスロープになっていて、そこは格好の天然観覧席。
開演前には、既にレジャーシートで場所取りも・・たくさん。 
 開演一時間前、神楽会メンバーも続々(と云っても総勢5名ですが)揃いの浴衣で到着。
 ステージ側から見た、正面の芝生観覧席。
会場内には沢山のブースが設置され・・ 
 桶狭間の合戦場に近いこともあり、桶狭間古戦場保存会の「ゆるキャラ」も
活躍していた。背中には信長の紋どころがキラリと。
 神楽会メンバーがステージ上に・・開演スタンバイ。
最初に、
主催側総合司会者から城之下神楽会の日頃の活動などが紹介された。
そして開演・・神楽会リーダーOさんが、
曲目の合間ごとに「その由緒」を会場の皆さんに分かり易く説明してくれた。 
 きょうの演目4曲について、Oさんの解説を簡略に記載します。
①鳴海囃子
愛知県内の山車祭りで盛んに演奏され、能楽の曲から派生したもの。
②神明神楽
成海神社ご神前で奉納される神楽で、古来、熱田神宮に伝承される最上位の曲。
③植田囃子
神明神楽と同じく、熱田神楽の中の一曲。お囃子の中で一番軽快「場」を盛上げる曲。
④七間町   
山車曳行時に県内各地の祭礼で演じられ、主に神社から各町内への帰りに演奏される。
多くのブースが設置された会場内を、ゆっくり見物することが出来なかったのですが、
物品販売や公共機関の出展なども多数ありました。
 甲冑の武者が突然現れたり・・
 この夏、町内会の防災訓練にも出動して貰った消防局の「地震体験車」も来ていた。
この際に是非、と体験希望の行列ができていました。
最後に、町内会広報板に掲示した「行事報告画像」をここにも掲載します。
今回は「成海神社山車保存会」として、上記二町の合同参加。
きょう一日、お世話頂いた役員さん、神楽会の皆さんお疲れさまでした。

2016年10月10日月曜日

平成28年・準備~「祭礼」~後片付け

10月8日(土)曇り時々雨。
(準備)

成海神社ご祭礼の催行が、未だ決定されていません。
明日の天気は雨のち晴れ。

昨日のこと、「弁当のキャンセルをしない」との、大変難しい決断だった。
こうなったら、何が何でも天気回復を皆で願うのみ。
で、見切り発車の準備が開始された。
皆さんから頂戴する、ご厚志の特設芳名板の設置や・・
世話人さんに依る幕の修繕や・・
操り人形(玉屋庄兵衛作)に、衣を着せるのも前日の内・・
そしてこれ、通称「ベロベロ」。
この操りは作者不詳。
構造が簡素ですが、ときどき赤い舌をべ~!ベロベロ~!
昔から祭り一番の人気者だった。
今年、新人の子供たち3名が、交代でこの人形を操るのに挑戦してくれることに。
木造の胴や漆塗の頭に衣装を着けて・・
ギョロ目でべべ~ぇ!!
今年ももちろん、人気抜群の筈と思いますね。
そして夜、囃子方の面々が集合。
江戸から駆けつけてくれたOさん直々の指導のもと、最後の猛練習。
祭り気分を盛りあげてくれた。
祭礼当日(↓)につづく


10月9日(日)雨のち晴れ。
(祭礼当日)
役員の集合した午前8時は「雨」だった。

しかし、近ごろはスマホがある。時系列で雨雲の動きを予想してくれるのは有難い。
あと30分で「あがる」と・・やっぱり西の空が明るくなってきた。
 班長さん、世話人さんも集まってきました。
しかし、空は山車を引きだす分けにはいかない怪しい状況。
 午前9時、神社の統括本部から「決行」の通達あり。
 それっ!とばかり、曳行準備は急ピッチにて。
 神さまが降臨すると云う青竹梵天・・昨日、例年通り10m高の孟宗竹を立てた。
その根元に、御神燈2張りを設置する。
 雲竜幕や尾張徳川家のお抱え絵師、張月載の筆による神獣大幕を飾つけ。
そしていよいよベロベロのご登場~!
全ての準備が完了。
皆で、出発前の記念撮影・・ことしの祭礼も又、総勢58名の配役にて「ぐぁんばる」
雨の心配がなくなって、午後0時45分の定刻通り出発するできました。
 町内の皆さん、そして飛び入りの皆さんも仲良く一緒に「ワッショイ・ワッショイ」
 これより庚申坂を下り、旧東海道を成海神社に向かう。
 班長さん、世話人有志の皆さん・・ひと息ついて束の間のお茶タイム。
一方、境内には四町内の山車が集結しました。

ひと山づつ順々に、正殿前で「神上げ神事」に臨みます。


 ④

この神上げ神事でも、勇壮な回転が見せ場となる。
更に、お囃子に合わせて子供たちによる「ベロベロ」も舞う。
午後4時、神輿渡御の行列。
この神事の由緒は、
大和朝廷の3世紀、日本武尊が東征からの帰還の際、鳴海浦から奥さんの待つ
火高(大高)まで鳴海潟を舟で渡ったと云う神話に因んだもの。
御神霊を旧址(御旅所)に渡御し、舟に見立てた木片を御船として扇川に流す
「御船流神事」が今に引き継がれている。
 鎌倉時代以前の古地図によると、現在の名鉄鳴海駅は海の中。
今の扇川は大きな入江になっていて、なるみ潟、あゆち潟とも呼ばれていた。
 これがその木札(御札=御船)
この女の子たち、扇川に浸かって神輿到着を待ちゲットしたとのこと。
古来、先を争い男たちが奪い合った・・それが御祭礼のハイライトでもあった。
この女子たち、ホント凄いと思う。
毎年設置される特設ボードは、全天候型。皆さんから頂くご厚志を掲示する。
 夜間曳行。提灯を点しての幻想夜祭り。
 この夜、前線通過による風が強かった。ロウソク消えてしまった提灯も若干あり。
 城之下公会堂前では、恒例の山車回転がある。今宵も、多くの観客から声援が飛んだ。
午後8時半、祭りは無事終了。

やまおろし、反省会(↓)につづく


10月10日(月)晴れ。
(山おろし+反省会)

午前9時より、祭りの後片づけと反省会開催。
役員と班長さんには、お疲れのところ連日の参集を頂きました。

今年から、お車の飾り下ろしや清掃をする「やまおろし」を翌日に行うことを決めた。
従来は、夜間曳行の後の大急ぎ作業だった。
今回の変更により、日光の下でより効率よく確実に仕事ができることを確認。
 山車展示の際に使う防護柵です。
昨年の補修作業の際、蝶番を誤ってつけてしまったのを発見し修正した。
 この画像は、隣接の花井町のカラクリが両手に持つ采配です。
町内の采配を更新することになり、参考のため花井に赴き拝見させて頂いた。
人形お守り役のご婦人方の手により、来年には新調される予定。
秋晴れの上天気につき、作業は極めて順調に進んだ。
青空のもと、
山車搭載の布団や、公会堂の座布団などを天日干にすることもできた。
 AM11時半より反省会。初めてNET注文で取り寄せた行楽弁当。
 上品で季節感あり。
値段の割に上等な昼食を頂き、談笑しながらの反省会ができました。
開催が危ぶまれる「雨」に始まり、「晴天」の後片付けで終わった。
まさにドラマチックな平成28年の祭礼でありました。

実行の事前協議を重ねて頂いた役員の皆さん、山車曳行に力を尽くして頂いた
全ての配役の皆さん方、たいへんお疲れさまでした。