2017年12月17日日曜日

秋葉社神楽奉納

12月16日(土)曇り。

町内には、昔から伝わる津島社と秋葉社の祭祀があります。
今夕はその内の一つの秋葉社に、先日授かってきた御札を納めて
神楽を奉納する行事がありました。

先輩先生を始め、新メンバーの子供たち8名も全員出席。
町内より、役員&班長さんが臨席。そして神楽会父兄の見守る中・・
子供たちは、
秋の祭礼デビュー以来、2度目となる年中行事に臨みました。

笛や太鼓の心地よい響きを、傍らより微笑ましく拝聴。
奉納の神楽三曲とお囃子一曲の内、その一部をYouTubeにしました。
 
迫力の生演奏を初めて見る班長さん方は、皆、一様にびっくりされていました。
先輩先生の指導にて、
今年5月から始まった週一稽古が、僅か半年余りでしっかり実を結んでいるようです。

(追伸)
昨年のブログに掲載したものですが、
可睡斎と秋葉山信仰について、日本大百科全書(ニッポニカ)の解説を記しておきます。
 
可睡齋(かすいさい)
静岡県袋井市久能(くのう)にある曹洞(そうとう)宗の寺。
萬松山(ばんしょうざん)と号し、秋葉総本殿とも称される。応永年間(1394~1428)
の僧、恕仲がここに草庵(そうあん)を結んだのが始まりで、一時荒廃したが、
5世の法祖大路一遵(たいろいちじゅん)が毘沙門天の霊夢に感じて再建し、
東陽軒と称した。
11世の仙麟等膳(せんりんとうぜん)は、今川家の人質となっていた幼少の徳川家康を
助けたことにより、のちに浜松城主となった家康の厚遇を受け、東海の大僧録司として
駿河、遠江、三河、伊豆4か国の諸寺を取り締まる名刹となった。
可睡斎という寺号は、仙麟等膳が浜松に家康を訪れたとき、疲れと老齢のために居眠った
のを見て、家康が「和尚睡(ねむ)る可(べ)し」といたわったことによるといわれる。
境内後方にある秋葉総本殿は、もと秋葉寺(静岡県浜松市)にあった三尺坊
威徳大権現を移したもので、俗に秋葉三尺坊、三尺坊大権現といわれ、火防の
霊仏として名高い。12月15日に火防大祭が行われる。
境内は広く、本堂、僧堂(禅堂)、方丈など多くの伽藍(がらん)を有し、ボタン、サギソウ
など花の名所としても知られる。

 秋葉信仰
根本社(秋葉神社)は、
静岡県浜松市天竜区春野(はるの)町の秋葉山頂に鎮座。
剣難、水難、火難に霊験あらたかであると『東海道名所図会』に記されている。
とくに火難(火伏せ、防火)信仰は愛宕(あたご)神社と並んで有名。秋葉山は神仏習合に
伴い修験の霊場となったが、修験者の三尺坊は、観音の化身で
火伏せの法に通じた天狗といわれ、越後の国から飛来して秋葉山の鎮守となり、
三尺坊大権現と称して、大登山秋葉寺に祀(まつ)られたという。
1685年(貞享2)には三尺坊大権現を祀ることが流行し、順次各地に送り祀られて
いったが、江戸に入る前に幕府から禁圧された。
 この信仰は中部地方を主として、東海道筋から関東地方にかけて講社を結成する
など庶民と深く結び付いた。
明治初期の神仏分離令で、秋葉神社と改称、独立し、秋葉寺は廃寺となったため三尺坊
の像などを可睡齋(静岡県袋井市の寺)に移したが
現在も根強く信仰されている。
とくに江戸時代は伊勢参宮の途次に参詣されることが多かった。

1 件のコメント:

飲んだくれクマ さんのコメント...


公会堂があんなに一杯になるのはめずらしいですね!!

今度の23日土曜日、神楽会の忘年会 兼 クリスマス会です。

お越しください~!!